**フォークランド紛争**(Falklands War)は、1982年4月から6月にかけて、
**イギリス**と**アルゼンチン**の間で行われた戦争です。 この紛争は、南大西洋に位置する**フォークランド諸島(Islas Malvinas)**の領有権を巡る争いによって発生しました。
### 1. **背景**
フォークランド諸島は、南大西洋にある小さな島々で、18世紀からイギリスが統治していました。 しかし、アルゼンチンはこの地域を「**イスラス・マルビナス**」と呼び、**自国領土**と主張していました。 アルゼンチンは、スペイン植民地時代の遺産としてこの島々を自国のものと見なし、長年にわたって領有権を主張し続けていました。 アルゼンチン国内では、特に軍事政権下で民族主義的感情が強まり、フォークランド諸島の奪還は国家的な目標とされていました。
### 2. **戦争の勃発**
1982年4月2日、アルゼンチンの**軍事政権**は、フォークランド諸島の領有権を取り戻すため、 **アルゼンチン軍がフォークランド諸島に上陸**し、島を占領しました。 アルゼンチン政府はこの行動によって国内の支持を集め、経済的困難や社会不安から注意を逸らそうとしました。 しかし、フォークランド諸島はすでにイギリスの統治下にあったため、イギリス政府はこのアルゼンチンの行動に対して強く反発しました。
当時のイギリスの首相、**マーガレット・サッチャー**は、フォークランド諸島を奪還するため、軍事力の行使を決断します。
### 3. **戦争の経過**
イギリスは**フォークランド諸島奪還のために大規模な海軍遠征**を開始しました。 イギリスは、4月5日に南大西洋に向けて艦隊を送り、イギリス本国から約13,000キロメートル離れたフォークランド諸島へと向かいました。 アルゼンチン軍は、主に島の防衛に当たっていましたが、イギリスの精密な軍事作戦に対して装備や訓練の面で劣っていました。 イギリスの艦隊は、空母、駆逐艦、潜水艦などで構成され、特にイギリス海軍の**HMS Conqueror潜水艦**が、
アルゼンチンの巡洋艦**ARAジェネラル・ベルグラノ**を撃沈したことで、アルゼンチン軍に大きな打撃を与えました。
また、イギリスの海兵隊や空挺部隊も現地に上陸し、数週間にわたって島内での激しい戦闘が行われました。 戦闘は非常に苛烈で、多くの兵士が戦死しましたが、イギリス軍は最終的にアルゼンチン軍を圧倒し、 **6月14日**にアルゼンチン軍は降伏しました。
### 4. **戦争の結果と影響**
イギリスは、**フォークランド諸島の支配権**を維持し、アルゼンチン軍を撤退させることに成功しました。 この勝利によって、イギリス国内でサッチャー首相の支持率が急上昇し、彼女は翌年の総選挙で大勝しました。 一方で、アルゼンチンでは、軍事政権がこの敗北によって大きく揺らぎ、数年後に民主化への道が開かれることになりました。 1983年にはアルゼンチンで民主的な選挙が行われ、軍事政権は終焉を迎えました。
### 5. **現在の状況**
フォークランド諸島は現在もイギリスの統治下にあり、島民も大多数がイギリスとの統治関係を支持しています。 しかし、アルゼンチンは今もなおフォークランド諸島の領有権を主張しており、両国間での領有権争いは続いています。 2013年には、フォークランド諸島の住民に対して**帰属に関する住民投票**が実施され、99.8%がイギリス領に留まることを支持しました。 この結果にもかかわらず、アルゼンチン政府は投票結果を認めていません。
### まとめ
**フォークランド紛争**は、イギリスとアルゼンチンの間でフォークランド諸島の領有権を巡って勃発した短期間の戦争です。 イギリスは軍事的勝利を収め、フォークランド諸島の支配を維持しましたが、
アルゼンチンはこの敗北によって軍事政権が揺らぎ、最終的には民主化への道を歩み始めました。 領有権問題自体は依然として解決されておらず、今日でもフォークランド諸島を巡る両国の緊張は残っています。
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